東京高等裁判所 昭和39年(う)2345号 判決 1965年5月21日
控訴人 被告人 ジエラルド・ジヨセフ・レワンドウスキー
弁護人 高林茂男
検察官 金沢清
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人高林茂男名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるからこれを引用し、これに対し次のとおり判断する。
一、控訴趣意第一点について。
論旨は、被告人は初めから刃物を用いて広沢運転手に暴行脅迫を加えて乗車料金の支払を免れようと考えたこともなければ、自動車料金の支払を免れる目的で同人を殺害しようと考えたこともない、また金銭強奪の目的で広沢運転手を刺したものでもない。従つて被告人の本件所為は刑法第二四六条第二項の詐欺の既遂、同法第二〇五条第一項の傷害致死及び同法第二三五条の窃盗の三つの罪の併合罪に当るものであるから、被告人としてはこれら三罪の刑事責任を負うは格別、強盗殺人の罪によつて処断されるいわれはない。然るに原判決が被告人の本件所為を強盗殺人であるとして刑法第二四〇条を適用したのは理由不備に該当するか、若しくは事実を誤認したもので、その誤認は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、いずれにしても原判決は破棄を免れないというのである。
しかしながら、原判決挙示の証拠によると、被告人は本件犯行当夜、横浜市中区伊勢佐木町所在の刃物店「菊秀」で尖鋭な骨すき庖丁ようの刃物(東京高裁昭三九年押八五七号の四の骨すき庖丁に類似した刃物)を盗み出し、これを隠し持つて広沢運転手のタクシーに乗車していること、当夜の被告人の所持金は僅か三、四百円位で到底横浜と厚木基地間の乗車料金(約一、一〇〇円)を支払うに足りないのに、被告人はそのことを十分承知のうえであえて前記タクシーに乗車していること、被告人が停車を命じた地点は基地附近の神奈川県高座郡綾瀬町大字寺尾字比留川七二二番の一附近で、通行人や通行車輛も少なく、附近の人家もまばらな暗がりの路上であること、停車を命じ後部座席左扉を開け逃げ出そうとしたが、扉が開かないとみるや直に前記刃物で広沢運転手の背後よりいきなりその左胸部を刺していること、更に車外に転げ落ちた同人の肩、胸、腹部等を突き刺し、続いて同人を道ばたの溝に引きずり込んでその胸部にいわゆる最後のとどめまで刺しておること、その刺切創は二〇ケ所に及び、左肩胛下部より肺動脈を切截し心臓左心房に至る刺創をはじめ、身体の危険な部位に極めて重大な傷害を与えており、結局同人をほどなく死亡させるに至つていること等の各事実を認定することができる。そしてこれ等の事実を綜合すると、原判示のとおり、被告人は広沢運転手のタクシーに乗車した当初から、基地附近でいきなり扉を開けて逃げ出すか或いは刃物を用いてでも乗り逃げしようと考えていて、基地附近の路上に停車を命じ逃げ出そうとしたところ扉が開かなかつたので狼狽し、とつさに、広沢運転手を殺害し乗車料金の支払を免れようと決意し前記兇行に及んだものと認めるに十分である。
もつとも、原判示現金強取の点につき考えてみるのに、被告人が原判示の現金奪取を企図するようになつたのは、原判示のとおり被告人が車外に転げ落ちた広沢運転手を突き刺したうえ車に戻り、ハンドルや扉についた自己の指紋を拭き消していた際に、車内に金入袋があるのを認めたそのときであると認められるのである。この点は正に所論の指摘するとおりであるけれども、被告人は既に前記のように、広沢運転手から自動車料金の支払を免れる目的でその胸部を突き刺す等の暴行に及び、結局その支払を免れて財産上不法の利益を得ておるのであり、前記金員奪取も、右兇行の直後これに引続いて、その機会にその場所で敢行されたものであるから、これら現金奪取の点も前記不法利得と包括してこれを考慮するのが相当である。結局被告人の本件所為は刑法第二四〇条後段の強盗殺人の包括一罪に当るものであるから原判決には所論の如き理由不備も事実誤認も存しない。論旨は理由がない。
(その余の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 新関勝芳 判事 中野次雄 判事 伊東正七郎)
弁護人高林茂男控訴趣意第一点
第一、原判決は左の通りの事実を認定して被告人を無期懲役に処する旨宣告した。即ち
(罪となるべき事実)
被告人は前記の如く当日は無許可外出をしているため横浜市内より厚木基地に通ずる軍用バスに乗車することができず、またタクシーを利用するには前記の如く当時の所持金が僅か三、四百円でとうてい横浜、厚木基地間の乗車料金約一、一〇〇円を支払うに足りなかつたところからタクシーに乗車し基地附近で停車したら、いきなりドアーを開けて逃げ出すか或いは前記刃物を用いても乗り逃げをしようと考え、同日午後八時五〇分頃中区伊勢佐木町三丁目九六番地日活映画館附近路上において、湘南タクシー株式会社勤務広沢五郎(当三〇才)の運転するタクシー(神五う三八三号)呼び止め同所から厚木基地まで行く約束で同車に乗り込み、基地附近に至るやタクシーより逃げ出す場所を求めて自ら道案内をし、同日午後九時四〇分頃神奈川県高座郡綾瀬町大字寺尾字比留川七二二番地の一附近の通行人車の少ないくらがりの路上で停車を命じ前照燈を消させるやいきなり同車の後部座席左扉を開け逃げ出そうとしたところ扉が開かなかつたので狼狽しとつさに運転手広沢五郎を殺害して乗車料金の支払を免れようと決意しやにわに所携の前記刃物をもつて広沢の背後よりその左胸を突き刺し、同人が絶呼するや座席を乗り越えて同人に襲いかかり車の外に転げ落けた同人の肩、胸腹部等を突き刺し、更に同人を道ばたの溝に引きずり込んでその胸部を一回突き刺したうえ更に戻りハンドルや扉についた自己の指紋をふき消した際、同車内に金入袋があるのを認めるや更に現金をも強取しようと考え、右袋および広沢の着衣より同人の所持金合計金五、五〇〇円位を強取すると共に前記日活映画館附近より犯行現場の比留川に至る乗車料金一、一〇〇円の支払を免れて財産上不法の利益を得たうえ右広沢五郎をして肩、胸、腹部等二〇ケ所におよぶ刺切創なかんづく左肩胛下部より肺静脈を切断心臓左心房に至る刺創から生じた失血によりほどなく同所において死亡せしめて殺害したものである。
と謂うのである。
第二、然しながら原判決は証拠によらずして事実を認定した違法即ち判決に理由を付せない違法があるか又は事実の誤認があつてその誤認が判決に影響を及ぼすこと明らかであると信ずる。
その理由は次のとおりである。
(一) 原判決は罪となるべき事実のうち
「被告人は前記刃物を用いても乗り逃げをしようと考え」たこと
「とつさに運転手広沢五郎を殺害して乗車料金の支払を免れようと決意した」こと。並びに
「更に現金をも強取しようと考え」たこと
を次の各証拠によつて認定した旨示している。
即ち、
一、第四回公判調書中の被告人の供述記載部分
一、被告人の司法警察員に対する自首調書、米海軍調査官に対する宣誓供述書、検察官に対する供述調書
一、恵良和子、ジョン・M・レワンドウスキーの検察官に対する各供述調書
一、セバスチヤン・シムコの司法警察員に対する供述調書
一、中野ノブ、荒井光二の司法警察員に対する各供述調書
一、広沢美奈子の検察官に対する供述調書
一、司法警察員作成の昭和三九年四月二八日付犯行現場における実況見分調書、同三〇日付タクシー走行経路、時間、料金に関する実況見分調書、同二二日付被告人引渡しに関する捜査報告書
一、司法巡査作成の昭和三九年四月二一日付遺留品現認報告書
一、司法警察員作成の昭和三九年四月二一日付遺留品発見の実況見分調書
一、神奈川警察本部鑑識課技術吏員作成の昭和三九年四月三〇日付血こん、血液型鑑定書
一、押収してある骨すき庖丁一丁(昭和三九年押第三〇六号の四)
けれども右各証拠を詳細に検討しても原判決が認定したように被告人が
「前記刃物を用いても乗り逃げをしようと考えた」事実「とつさに運転手広沢五郎を殺害して乗車料金の支払を免れようと決意した」事実並びに「更に現金をも強取しようと考えた」事実を認めることはできない。
(二) 原判決が証拠の標目として摘示しているうち右事実認定の有力な資料と目される証拠中
(イ) 原審第四回公判調書中の被告人の供述記載部分の右三点に関する被告人の供述を摘記すると左のとおりである。
即ち検察官との質問応答
問 ナイフを使つてタクシーの無銭乗車をするつもりじやなかつたんですか
答 そうではありません(記録一七七丁うら)
中略
問 そのナイフを使つて料金をまぬがれようと思つたのではありませんか
答 そうではありません(同一八〇丁)
問 車をとめて最初にどの様なことをしましたか
答 ドアーをあけようと致しました
問 自分であけようとしたのですか
答 そうです
問 あきましたか
答 あきませんでした
問 それでどうしましたか
答 ナイフで運転手をさしました(同一八一丁)
中略
問 ドアーがあかないことを知つてなぜいきなり後のほうからさしたりしたのですか
答 こわかつたからです(同一八二丁うら)
中略
問 引きずつて行つてからどんなことをしましたか
答 車のほうにもどりました(同一八五丁うら)
中略
問 被告人は車にもどる前に運転手から金をとつたのではありませんか
答 そうではありません(同一八六丁うら)
問 車にもどつたのはどういうわけですか
答 車の向きを変えて、指紋をふきとるためです
問 指紋をふきとりましたか
答 はい
問 どことどこをふきとりましたか
答 そこらじゆうです
問 たとえばどこですか
答 扉の取手、ハンドル、ダツシユボード運転用の計器のあるところ、それからシートです
問 どういうものでふきとりましたか
答 ハンカチーフです
問 自分のハンカチですか
答 そうです
問 指紋をふきとつてからどんなことをしましたか
答 私が指紋をふきとつている間に車の中から金をとりました(同一八七丁うら)
問 どこからとりましたか
答 運転台のところにありました小さな袋からです
問 どの位はいつていたか覚えておりますか
答 覚えていません
問 紙幣であつたか、硬貨であつたか覚えておりますか
答 硬貨でした
問 金のあつた場所は車に乗る前から知つておりましたか
答 知りませんでした
問 どのようにして金のあることがわかつたんですか
答 運転席の附近の指紋をふいている時にわかりました
問 指紋をふきながらどこかに金はないかと探した結果わかつたのではありませんか
答 そうではありません(同一八八丁)
中略
問 それからどうしましたか
答 外に出ましてタクシーの運転手から金をとりました
問 運転手のどこに金がはいつておりましたか
答 上着の上のポケツトにはいつておりました
問 一ケ所だけですか
答 そうです
問 そこにあることはどうしてわかりましたか
答 ポケツトを捜してわかりました
問 運転手のとこへ指紋をとつたあともどつたのは運転手から金をとるためですか
答 そうです(同一八九丁)
中略
弁護人との質問応答
問 タクシーに乗る時にその刃物を使つて自動車の運賃を乗り逃げしようという気があつたんですか
答 ありませんでした(同一九九丁うら)
問 どこから自動車の料金を踏み倒して逃げようという気になつたんですか
答 車に乗つた直後です
問 車に乗つてから基地の近くへ行つてドアーを自分であけようとしたことがありますか、ついてから
答 はいドアーをあけようとしました
問 あなたは座席のどちら側に坐つていたんですか
答 左側です
問 運転手は右側ですね
答 はい
問 どういうふうにしてドアーをあけようとしましたか
答 ハンドルを押すことによつてです
問 自動車の左側についているハンドルを自動車の進行方向に押したんですか
答 そうです
問 手前に引つぱればあくということを知りませんでしたか
答 そういうふうに考えませんでした
問 手前に引つぱることを試みてみましたか
答 私がドアーを前のほうに押してあかないんで運転手がボタンか何かで鍵をかけたんだと思いました
問 そのドアーは運転手の操作によつてのみあかるいわゆる自動式ドアーだと思つたんですか
答 そうです
問 実際はどうだつたですか
答 あとで警察に行きまして警察官からボタンじやなくてレバーであくようになつているということを聞きました
問 自動式ドアーだと直感してからどうしましたか
答 それで運転手さんを初めてさしたわけです
問 もしそのドアーがあなたがハンドルを前に倒したことによつてドアーが開いたならばそのまんま開けて逃げていくつもりだつたんですね
答 そうです
問 そうすると運転手によつてあなたがその中にとじこめられたと思つたからさしたとこういうことになるわけですか
答 そうです(同二〇二丁)
問 その運転手を殺してタクシーの料金をまぬがれるばかりでなしに更にその所持金や車の中にあつたお金をとつてやろうと思つてさしたんですか
答 そうではありません
問 それではタクシーの運転手に対してナイフを示しておどかしてドアーを開けろと云つてもよかつたんじやないですか
答 私はドアーが開かないということを知つて頭が錯乱してしまいましてほかに考えが及びませんでした
中略
問 自動車の中にもどつたのは自動車に備え付けてある現金を入れる袋からお金をとろうという気があつたからではないんですか
答 そうではありません
問 いつお金をとる気が起きましたか
答 車をまわしたりパーキングライトを消したりしたため私の指紋がついていると思つてそれからハンドルとかレバーのハンドルとかそういうものをぬぐつておりましたら下に袋があるのがわかつたわけです
問 それを見つけてそのお金をとるつもりになつたんですか
答 そうです
問 運転手のところにもどつてポケツトの中からお金をとろうと云う考えを起したんですか
答 指紋をふきとつている時にお金のはいつた袋を見まして金をとろうという気になつてほかに特別な理由はありませんでした
問 お金が欲しかつたんですか
答 そうではありません
問 あなたは大体自動車の料金を踏み倒して逃げるのが目的であつたんでしよう
答 そうです
問 それならばお金が見つかつてもそのお金に手をふれずに逃げていけばよかつたんじやないでしようか
答 金のはいつた袋を見るまでは金をとろうとなんと思つていなかつたんです
問 なぜとろうという気を起したんですか
答 ただ金だつたからです(同二〇六丁うら)
(ロ) 被告人の司法警察員に対する自首調書の供述記載中
一、私はカトリツクの信者です。私は四月一八日に人を殺したので自分で決断をして自首したのです
中略
五、運転手を殺した理由はわかりません
(ハ) 被告人の米海軍調査官に対する宣誓供述書の供述記載中
私の思い出す限りでは私にはそのナイフを取る特別な理由はありません
中略
私はその道路を少し戻つたとこで運転手に車をとめる様に言いました
私は運転手に明りを消す様に言いたいのですが、消す代りに彼は車内燈をつけたのです 私は「駄目」といつて、私は明りを消しました
そのナイフはタクシーの床の上に置いてあつたのですがこれは私が最初そのタクシーに乗つたときそこに置いたと思います
私はそのナイフを床の上から捨い上げこれで前部席越しにタクシーの運転手の胸をさしました
このとき私は今だタクシーの後部席に居り運転手は運転位置に座つておりました
私は普通右ききでありますが私は自分の左手を使つてそのナイフでタクシーの運転手をさしたのです
私が彼をさしたとき、タクシー運転手が絶叫したので私はナイフを彼の胸に突きさしたまま後の方に飛び退りました私は又飛びかかつていつたところ私達は運転台側の前部のドアーからタクシーの外に落ちました
このとき私がナイフをもつていたのか彼が持つていたのか私は知りません
私達がタクシーから落ちた後タクシーの運転手がうめいており逃げようとしておりました
私は運転手の頭の辺りをつかんだのですが、取つ組み合つている最中に彼が私の左手の薬指をかみました
私は地面の方を見下したところナイフが落ちているのを見ました
それで私はそれを拾いあげて運転手の腹をさしましたが、彼の右側の方だつたと思いますが肩を首の辺りもさしたと思います
私が最初に彼をさした外に二、三度ナイフで彼をさしたと思います
その運転手は倒れましたが私は彼があえいでいるのを聞いたように思います
私は彼の腕か足をもつて彼を道路端に引つぱつて行きみぞの中に入れました私は彼が死んだかどうか知りませんでした
私は運転手の金を上の方のポケツトから取り出したのですがそのポケツトがシヤツのであつたか、コートのであつたのか知りません
私はどの位金があつたか数えなかつたので知りません
私は百円札を数枚見ましたが千円札は見ませんでした
私はそれからタクシーの方へ戻りギアーを入れクラツチを外してタクシーのエンジンを止めたのです
私はタクシーをとめてから右側の座席の下に下げてる革かプラスチツク製の袋の中から運転手の釣銭をとりました
私はどの位あつたか判りませんが十円、五十円、と百円硬貨が相当ありました(同二五一丁)
(宣誓供述書によれば車中の金をとる前に運転手の着衣から紙幣を窃取したかの如き供述記載があるが先ず車中の金袋から硬貨を盗み更に広沢運転手の着衣から紙幣を盗んだことが真実のようである)
(二) 被告人の検察官に対する供述調書中の供述
八、私はバーから出て婚約者のところに行くのがいやになりタクシーで基地まで帰ろうと思いました(同二六七丁うら)
私は以前に何回も伊勢佐木町から厚木基地まで帰つており乗つた場所と経路によりますが普通タクシー代は一、一〇〇円位でした
当時所持金が三・四〇〇円しかなくタクシー代を払つて帰れませんでした
私はタクシーを乗逃げするつもりでした
九、そこで私はハツピーから出てすぐ伊勢佐木町の日活映画館前附近に行つたら、九〇円のタクシーが通りかかつたので呼び止め、
厚木まで
と言つて左後部の座席に乗りこみました
そしてタクシーはネビーバスが通るのと同じ道路を通つて厚木基地正門前の交差点の所で止つたので私は日本語で運転手に
右
と言いましたら運転手はその交差点を右折しました
そして二つ目の交差点のところで私は運転手に
左
と日本語で指示し運転手はそこで左折し非舗装道路を通つて行きました
そして走つて行くと道路左側に一台の自動車がライトをつけずに駐車していました
その車に人が乗つていたのかどうか判りません
その駐車中の車のわきを通つて私達の車が最初の交差点のところで方向変換するように言つたら運転手は私の言つたことを誤解してそこで右折してしまいました(同二六九丁)
しかし運転手は間もなく気付いて方向変換しまた来た道をもどつて行きました
そして前述した駐車中の車のわきを通つて交差点に出る前に私は運転手に日本語で
ここ大丈夫
と言つたら、運転手は車を止めました
その道路の両側は森の様なところで人家はまばらにしかなくさびし暗いところです
運転手が車を止めたので私は運転手に日本語で
電気どうぞ
と言いました
運転手は前照燈を消し室内燈をつけました
そこで私は左後部ドアーをあけようとして取手をまわしましたがドアーはあきませんでした
私はドアーがあかないのでタクシーの中にとじこめられたと思い恐ろしくなりました
そこで突嗟に床の上においてあつたナイフを左手でつかんでそれで背後から運転手の胸をつきさしました
ナイフは運転手の胸につきささつたままでした
運転手は私に胸をさされ日本語で何か大きな声でさけんでいました
私達は一緒に車の外にころげ落ちました
運転手が私より先に起上つて何かわめきました
それで私は立上つて運転手のうしろから左手で運転手の口をふさぎました
運転手は私の左手薬指をかみつき運転手の胸を見るとナイフはささつておらず地面に落ちていました
私は運転手の口をふさいだままそのナイフを右手で地面からひろい上げ夢中になつて運転手の腹をさしました
私は夢中でさしたので何回位運転手をさしたか覚えていません
又ナイフを自分が逆手に握つていたのかどうかも覚えていません
私がこのように運転手を何回もさすと運転手はその場に倒れて相当大きくうめき声を上げていました
それから私は運転手の手だつたか、足だつたか覚えていませんが、を持つて車の左前部の方に道路ばたに引づつていきました
するとまだ運転手はうめき声を上げていたので私はさらに運転手の肩か胸を一回さしました
それから私はタクシーに戻つて室内燈を消しエンジンがかかつていたので変速レバーを入れてはなしたら車が動き出して道路ばたのやぶのようなところに車の前が入つて車は止りました(同二七二丁うら)
十、それから私は自分が運転手をさしたことが判つて捕まるのがいやなので自分がさわつたと思うハンドル、ドアーの取手等方々を自分のハンカチでふいて指紋を消しました
そのようにしていると、ハンドルの下の床のところに大きなバツクがあつたので手を入れたらたくさん硬貨が入つていました
それで私はそれをたくさんつかんで自分のズボンの右ポケツトに入れました
十円が一番多く五〇円、百円硬貨も入つていたと思います
それから私は運転手がもつと金をもつていると思い運転手のところに行つて彼の胸のポケツトを調べたら中に札が何枚か判りませんがひとまとめにたたんで入つていたのでそれもとつてズボンのポケツトにしまいました(同二七三丁うら)
旨の記載がある
以上(イ)(ロ)(ハ)(ニ)の各証拠(其の他の証拠は直接被告人の犯意の有無については触れていない)をよく検討しても被告人が原判決認定の如く
「刃物を用いても乗り逃げをしようと考えた」り又
「とつさに運転手広沢五郎を殺害して乗車料金の支払を免れようと決意した」り及び
「更に現金をも強取しようと考え」たことを証明することはできない
なるほど被告人が刃物を携帯して広沢五郎の運転する自動車に乗つたこと、右自動車の料金を支払わずに乗り逃げをしようとしたこと、広沢五郎運転手に対し所携の刃物を用いて多数の創傷を加えて遂に死に致したこと(通常の言葉で殺したと言うこと)及び自動車並びに広沢五郎の着衣から現金を盗んだことは争いないところであるかが初めから公訴事実記載の如く刃物を用いて広沢五郎に暴行脅迫を加えて乗車料金の支払を免れようと考えたこともなければ自動車料金の支払を免れる(その料金も僅か一、一〇〇円米貨約三ドル)目的の下に同人を殺害すると言う大それた考えを持つたこともない又勿論金銭奪取の目的で広沢五郎をさしたものではない。
被告人が自動車中及び広沢五郎運転手の着衣から金銭盗取の意思を起したのは前記各証拠によつて判るように被告人が無銭乗車をすることの悪事が露顕し自動車の中に閉じこめられたものと早合点しとつさに逆上して運転手をさした後に車に金袋のあることを発見した後のことである。
広沢五郎運転手に対してなされた暴行は決して自動車料金の支払を免れるとか更に又金銭強取の目的から為されたものではない。
従つて被告人の犯した行為は
(一) 欺罔手段による無賃乗車即ち刑法第二四六条第二項の詐欺罪の既遂
(二) 刑法第二〇五条第一項の傷害致死罪
(三) 刑法第二三五条の窃盗罪
の三罪の併合罪であつて原判決は明らかに事実を誤認しその誤認した事実を証拠にもとづかずして認定し刑法第二四〇条を適用したのは刑事訴訟法第三七八条第四号に所謂判決に理由を付せざる場合に該当するか又は同法第三八二条に所謂事実誤認があつてその誤認が判決に影響を及ぼすこと明らかな場合に該当するものであるから到底破棄を免れないものと信ずる。
財物強取の目的以外の動機目的で他人に対し暴行を加えその抗拒不能に陥つた後にその他人から財物盗取の犯意を生じ之を奪取した場合には強盗罪は成立せず単に窃盗を以て問擬すべきである此の点は抗拒不能に乗じて為された婦女姦淫に関する強姦罪と異なるところである。
被告人の場合昏酔強盗とも異なる。被害者の意識不明又は抗拒不能が薬物又は酒類等による昏酔に乗じて広沢運転手の所持金を奪つたものでもないから昏酔強盗でもない、財物奪取の点は単なる窃盗罪である。
(その他の控訴趣意は省略する。)